【本】世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ

世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ
エル・システマの奇跡

(原題)Changing Lives

トリシア・タンストール:著
原賀真紀子:訳
東洋経済新聞社
2013年9月

世界から注目されている、ベネズエラのエル・システマについて、その軌跡と発展をたどりながら活動をリポート、合わせて、生みの親アブレウ、システマが生んだ最大のスターであるドゥダメルをクローズアップ、そしてシステマの米国への広がり、最後に日本の福島での活動を紹介した本。

システマを題材にしている人は多く、それを伝える書物もたくさんありますし、ドキュメンタリー映像もいくつもありますが、それらを既に見てきた人も興味深く読めると思います。

シモン・ボリバル交響楽団とLAフィルがカラカスで合同演奏したマーラーの千人の交響曲のビデオを見たとき、合唱のレベルがとても高かったこと、合唱団の中に目が不自由と思われる方がいたことが非常に印象に残っているのですが、この本を読んで、その理由に合点がいきました。

ストーリーは、一にも二にも偉大なるアブレウ博士なのですが、私がしびれたのは、氏が米国からシステマを広げようとして研修視察に来た若者にかけた言葉(180頁)。

ここには、いわゆる『システム』はない。ぜひあちこちへ行って、ちょっとしたカオスをつくってきてください。きっといつか、それに秩序が備わるでしょう。

私は、このアドバイスがすべてを語っていると思います。

非常に興味深いのは、LAフィルのシステマの取り組みがどう発展していくかということ。もしロサンゼルスでシステマを広く機能させたなら、LAフィルは未だかつてない立ち位置に立ち、不動の全米ナンバーワン・オーケストラになることでしょう。

私はずっとサンフランシスコ交響楽団をウォッチしてきたので、それとの比較で見ることになるのですが、LAフィルとSFSは同じカリフォルニアにありながら、街の特性も大きく異なりますし、違う方向で大きなチャレンジをしていて面白いなと思います。

ドゥダメルとLAフィルは、人口が多く、貧しい人もたくさんいる街で、生まれによって人生の可能性を制限されてしまっている人々に、音楽で力を与えようとしている。ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団は、世界から能力もバイタリティもある人々を吸引し、クリエイティブな産業で成り立っている街で、人々のクリエイティビティに刺激を与えるようなオーケストラの活動を志向している。

どちらも21世紀の方向性として「アリ」だし、ドゥダメルもティルソン・トーマスもそれぞれの方向性にこれ以上ないくらいぴったりなキャラ。ぜひこの2つのオーケストラには、今後も競い合って道を極めてほしい。LAフィルのシステマの取り組みに関するこの本の記述を読んでいて、そんなことを考えました。

その他印象に残るのは、ごく初期の段階から合奏に参加すること、みんなで教え合い、助け合う文化であること。「音楽を楽しむ」ことに重点が置かれていること。絶対見落としてはならない点は、彼らが現在、作曲家の育成に力を入れているということ。

何事にも光と影はあり、システマ礼賛一辺倒になるのは違うと思いますが、それでも彼らから学ぶことはたくさんある。

個人的には、このままのペースでシステマから超優秀な音楽家が大量に育ったとき、世界のクラシック音楽家マーケットの勢力図がどう変化するのだろうかということにも興味があります。

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